テイク・ディス・ワルツ

 自分の居場所を一つに定めて穏やかに暮らしたい気持ちと、新しいものを求めて流され続けたい気持ちが、わたしのなかにも混在してる。どちらを選んでも満たされはしないのだろうと、わかっているけど、しあわせになりたいの。
 「どうしてかけがえのないものが、色褪せて見えるの?」というコピーに惹かれて観に行ってきた。ひとところにとどまる幸せとはなんなのだろうってここのところずっと考えている。かわいい服を着ておしゃれな家に住んで、自由な仕事をして、やさしい夫に愛されて……ていうマーゴの結婚生活は幸福そのもののようにも思えるけれど、どうしたってどこか埋められない部分があるみたいでこわい。なんかつまりそれは孤独なのだろうと思った。何を手に入れてもだれに愛されても、どこまでいってもひとは根本的に究極的に孤独で、それはもうどうにもならないことなのだ。ずーん。
 満たされているはずの空間でふっと襲いくる不安みたいなものがあって、それがくるともう苦しくて、切なくて、わけもなく焦って何も手につかなくなる。そういう微妙だけど致命的な動揺の描き方が息がつまるほどきれいだった。どこを切り取っても美しい絵で、でもそのビビッドな色合いや季節感がときにずっしり重苦しく。生ぬるい風や汗をかいた肌のしめった熱まで伝わってきそうな気持ち悪さにみとれた。

 

 映画みてたら食べたくなったので家に帰ってからチキンのトマト煮を作った。
 乾燥して硬くなったバゲットをスープに浸したら驚くほどやわらかくなって美味しく食べられたことにしんみりした。同じままではいられないし、色褪せてゆくのは止められないけれど。それでも、パンをスープに浸すようなやり方をめざせばいいのだと思った。元と同じじゃなくて当たり前だし、それでいいのだ、きっと。
 それからふと思ったが、物語の(とくに映画の)ラストって、紆余曲折の末にどこか知らないところへ踏み出してゆくエンドより、紆余曲折の末にもといた場所へ戻ってくるエンドのほうがすきかもしれない。単純に二分できるものでもないが「それでもわたしはここで生きていくのだ」みたいなのがすきだな、そっちの方に救いを感じる。

 マーゴの洋服が超~~かわいかった。赤白ストライプのTシャツ、花柄のエプロン、水着、デニムのショートパンツ、マドラスチェックのタンクトップ、ギンガムチェックのワンピース………ウワー。わたしも同じものが欲しい、全部欲しいよ。でも今の時期になってビタミンカラーの夏物なんて売ってないし、現実的でないので、マーゴがしていたようなターコイズブルーのペディキュアを買って物欲をごまかした(でもそれもぜんぜん理想の色じゃなくて納得してない。2012年日本のネイルカラー市場で見つからない色があるとは)。