物語の物語

 ぜんぜん文章が書けなくて作家でもないのにパソコンの前で固まる日々を過ごしている。
 義務から書いていた論文もレポートも終わってわたしを縛るものはもはやなく、思うままに書きものをしたり今まで観られなかった映画やアニメに浸ったり長編 RPG を遊んだりできる(きみの望む時間の使い方はその程度なのか?)つかのまの時間を得た。そのうえ休みで日本を離れて遠い田舎の寒い国で室内にこもるという、夢のような環境にある。のだが。パソコンを手帳をひらいてはため息ばかり。何がしたいのだろう。かくことは好きだった。時間ができたらものを書くのだとずっと思っていたはずなのに、いったい何をかきたかったのだろうね。

 日常を脚色して物語みたいな日記を書いてみたい気持ちがある。気持ちだけ。

 「物語」の物語に弱い。現実や、日常とは位相を異にするフィクションの世界を、いくつもいくつも抱えていて、日常と同時進行で夢を生きているような、そういうひとにあこがれる。何回同じことを言うんだという感じだが。フィクションがひとを救うのはほんとうになぜなのだろう。ときには虚構のほうが現実よりもリアルに思えたり。かといって現実をないがしろにするわけでもなかったり。不思議ね。
 フィクションがなければひとは生きられないのじゃないかとやっぱり思う。現実を粘土のようにまるめて変形させてあざやかな色をぬり重ねて、うたって踊って体当たりで常に常に語りつづけることでしかわたしたちは、自分の生きている世界に意味を与えられない。けれども自在に空を飛ぶのは難しい。ビッグフィッシュの主人公のお父さんのようになれないわたしは、パソコンの前で固まりながら地道にことばを捻りだしてゆくしかないのだろうな。
 詩人ノザー・ウィンズローがすてき。スティーヴ・ブシェミさんのあの顔が好きだ(ウィキペディアの彼の項に「一度見たら忘れられないアクの強い風貌」とかかいてあって笑っちゃった)。詩を書かない詩人なんて似合いすぎ。彼が仕掛けた銀行強盗みたいにやけくそになりたいわたしも。