潜水服は蝶の夢を見る

 観た。すてきだった。主人公の独白や彼の書きとらせる文章に本読み編集長らしい人物像がうかがえて、それが好みのど真ん中だった。こういういかにも教養あるひとみたいな人物設定に惹かれる。メルヘンチックに世界じゅうを飛び回って異国情緒あふれる民族の風習や信仰をうつしだしたり、日常の病室風景に突然ナポレオンのお妃さまを登場させたり、じぶんの置かれた状況にそっくりな男の出てくる章を『モンテ・クリスト伯』からそらで選んでみせたり。いつも夢のなかにに片足をつっこんでいるような、現実とは位相の異なる詩的な世界を、常にいくつも抱えているようなそういうひとにあこがれるし、かなわないし、すきだと感じる。ちょっとだけ『落下の王国』っぽいなと思った。
 想像力と記憶って作中でも言っているけれどほんとうにすべての源泉になりうるよなあと思う。全身が麻痺して絶望的な状況にあって、ペンも資料も持たずまばたきだけで一冊の本を書きあげてしまうのは、何もないところから生まれたものでは決してなくて。自由に飛躍する想像力と、今までにじぶんが生きてきた記憶、そのどちらが欠けても面白くないのだろう。作りだされるものが命を持つのは作りだす側がそれを生きているからかもしれない。
 そういえばわたしのまわりでも、すてきな文章を書くひとはみんな記憶力がいい。何年も前のことや、小さい頃に読んだ本のこと、見落としてしまいそうな風景の隅々まで、びっくりするほど細かく覚えている話を聞くたび驚く。記憶の一つ一つがそのひとのなかでいつまでも生きてそのひとをつくっている。そのひとが創りだすものにもまた、一つ一つの記憶が生きているんだと思う。そうやってつくられたものにはすごみがある。わたしはなんでも平気ですぐに忘れてしまうから、せめて感じるそばから記録してゆけるようになりたい、ほんとうは。

 アルファベットを読みあげて代筆する女のひとが文字の並びからだんだん単語を予測できるようになってゆくところ好き。予測をあてられるのは考えていることが同じだから。単語あてゲームの感覚でわたしも一緒になって考えてたけど、M-O-U-R, mourir, と即座にあてる場面は切なかったし、そのすぐあとにM-E-R-, ときて(観ているわたしもこの時点でメルシーだとわかった)、そのあと C までが早口になる彼女がすごくよかった。そして案の定 C のところでまばたきがあって、メルシーだとわかってぱっと笑顔になる彼女に泣いた(その直後に主人公は内心で「女なんて単純だ」みたいなことを言う。怖い)。
 P-L-E だけで Ne pleure pas を察したのに感動した。気の遠くなりそうなコミュニケーションもつづけているうちになんとなく「わかる」みたいなときが出てくる。思い込みや錯覚かもしれなくても、相手を思って手を伸ばしつづけることが、報われるみたいな瞬間がまれにあって心を動かされる。ひととひととが通じ合うってすごい奇跡の積み重ねなんだな。

 教会に連れて行かれてルルドを回想するエピソードの気持ち悪さがすごかったけどどういうことなのだろうな。また観たいです。