いいかげん動き出さないとこのまま埋もれていってしまいそうな気がする。なにもやりたくないしなにも考えたくないがそれではゆるされない時間のなかに戻ってきてしまったことを知ってる。正しいことだけを、生産性のあることだけを、やらなければならない年齢になってしまった。
有意義ということばが嫌い。だから何なのって感じだけど。就職のための自己啓発みたいな思想にめまいがする、あのての理論で武装したひとって本気でそう思っているのだろうか。「できないって言ってるからできないんだよ」なんてどうしてひとに言えるんだろう。手に負えないついてゆけない今すぐに脱落したい、有意義なことなんか一つもやりたくない。
何年分もの皺寄せを一気にくらったかのように、進むべき方向を見失って身動きがとれない。だれにも堂々と顔向けできない。出遅れて足踏みをして愚痴ばかり言ってわがままで情けないと、わかっているのでも言いたいの。
帰国しました。
ひたすらに道に迷いまくっていろんなものを失いつづけた一年でした。常識とか英語とかファッションセンスとか音楽の好き嫌いとか美しさの評価とか食べ物の好みとか日本語の言い回しとか全ての判断基準がぐらついてわたしが何者であるかわからなくなりました。揺らぎまくっている。わたしが「わたし」であるための何かをそれなりに持っているようなつもりでいたけれどそんなものはなかった。足場を失ったような気持ち。結局わたしなんて小さい存在なのだなあととってもありきたりなことを実感して終わりました。
なにもしない、なにも知らないことが許された甘美な季節でした。言葉は通じないし周りの話していることもよくわからないし、言いたいことも言えずに自分の中だけで常にぐるぐるしながら、そういう状態が嫌いではありませんでした。現実を生きつつどこかで世界から切り離されたようで、かえってその断絶のおかげでわたしは解放されていたのだと思います。慣れ親しんだ価値から、慌ただしさから、他者の評価から。そのせいで自分が今まで積み重ねてきたものやひきずってきたものが全て曖昧で不確かなものになってしまったけれど、うしなう、ということをこれほど鮮やかにスリルを伴って経験できるのはある意味で恵まれてもいるのでしょう。在仏中に遊びに来た友人には既に「変わったね」と言われたのですけれどなんかもう何がわたしなのかぜんぜんわからなくなっているので、わたしが今まで一度もやらなかったことをやっても、今まで愛さなかったものを愛しても、あまり驚かないでくれるとありがたいです。
留学ってなんだったのだろうと思って、ことばにならなかったことばを思って、わたしのたどってきた偶然の連続を、わたしに向けられた奇跡みたいなやさしさを、思い返しては寂しさと後悔でぐちゃぐちゃになる。
でも実家の食事は美味しいしバスタブ付きのお風呂は快適だし。ピアノでは愉快で楽しいサティとか弾いたりしてうやむやのまま日本の生活を愛し始めているわたしがいるのも本当です。結局だましだましでも生活は営まれてゆくそのしぶとさに感心しています。やっぱりわたしは鈍いのかもしれません。
日本の生活に慣れ親しんでしまうことが本当は怖くて仕方がないのです。だれにも会いたくない気分です。でもそのうち元気になりたいと思います。京都に引っ越して後期が始まる頃には、ひとに会いたいわたし、でありたいと思います。
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ここまで放置しておいて今さら読むひといるのかしらって感じですけど。立つ瀬なし。留学中ずっと、筆不精&音信不通で申し訳なかったです。無事に帰ってきましたので、いずれお会いする機会があったらまたどうぞ宜しくお願いします。